7月20日

 雨蛙くん!梅雨明けはまだ?


梅雨明けは、まだかな?
どんよりと、湿った重みが
たえず頭の上に張り付いていて、
実家の母の緊急入院という、いのちの危機を、
まるで、天気が演出しているような気がします。

けれど、梅雨には梅雨の豊かさがあるように、
危機にも危機の、意味があるのでしょう。
なぜか、こんな時に、以前、図書館でリクエストしておいた、
「夜と霧」で世界的に知られた、V・E・フランクル著の
「それでも人生にイエスと言う」という本が、手元に届きました。

彼は、ナチスの強制収容所という過酷な体験の中から、
人は、たとえどのような状況に陥っても、
「それでも人生にイエスと言う」ことが出来るのだと、伝えてきます。
生きること、とは、人生からの問いかけに、どう応えるか、
その状況にどう望むか、という生きる姿勢なのだと。

集中治療室の母、老いた身でこの事態を乗り切ろうとする父、
人よりも、生きる困難さを背負った兄、という実家の重みに、
「頼りになる娘」の私(けれど、私も重みは苦しい!)は、
どう向き合っていこうとするのか。

何者の計らいか、タイムリーに届いたこの本が、私の中に、
なにかの種を蒔いてくれるたらいいなと
思っています。


  涼を求めて!




















7月14日




道端に見掛ける、朝顔に似た、繊細な薄ピンクの花。
最近、その名前を知りました。「コヒルガオ」といいます。

「雑草」という言葉は、あまり好きではない。
「さりげない」で「強い」という意味を含むなら、
私も「雑草」のようでありたいなと、時々感じます。
「野の草」という響きもいいですね。

そんなことを思って、家周りの草取りをする時、
メヒシバのような、最強な雑草(愛犬がよく好む!)は別にして、
コンクリの隙間から、懸命に伸びているものを、
取るか取らないか、よく逡巡しています。
だから、我が家の玄関前は、やたら、草が生えています。


   整列






151<覆う>

  ネコジャラシ


散歩だより151<覆う>

何も無い大地が
懐かしくなる程、
四方の遥かと
四方の間近を
真っ直ぐに繋ぐ緑稲は、
整列し、占領し、
思考を、呼吸を、
覆います。

雨の中、ただただ
犬に引かれて歩く日々も、
ある日、ガラガラと雷がなって、
くぐもる水の稲から
開かれる太陽の稲に、
変わります。

それまで、
梅雨という重みを
今しばらく、
泳ぐことにしましょう。



  飼い主はどこ?

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