思い出になってゆく


                              2007年5月の彼     



在りし日の愛犬は
畔のクローバーとよく戯れた。
この散歩だよりも彼が居たから、
しぶしぶでも、彼の時間の歩みに付き合ったから
たくさんの言葉が貰えたのだと思う。

転居して15年目。
最初は風の強い土地だ、位しかわからなかった。
彼の散歩で、厭がおうにも人と挨拶を交わした。
私の名前は覚えてもらえず、彼の名前はすぐに広がった。

あまり良い飼い主ではなかったかもしれない。
共働きの時は、散歩は欠かさなかったけど、
庭に置かれ、たいして面倒は見て上げられなかった。

拾った家猫が二匹になってしばらくして、
先住のはずの彼が、家の中に招かれた。
しばらく猫にパンチを食らわせられていた。

亡くなる3年前から、体に麻痺が始まった。
手術をしても良くならず、それでも
期待を掛けて、朝晩のリハビリに皆、奮闘した。

最後の1年は寝たきりになった。
忙しい時は特に、朝晩の下の世話が
とても煩わしかった。
いつまで続くの、と何度も思った。

なんとなく最後が近づいてきて、
何度も彼を撫でる自分がいた。

最後は、一人暮らしの長男も
たまたま帰ってきて
見送ることが出来た。

一緒に散歩した思い出が
いっばい。

本当に、
お疲れさまでした。


 
                                                                                                            2008年5月の彼



 

「今の時間」




   「今の時間」

最近読んだ本に、現代人のほとんどの人は
「過去か未来に生きていて、今に生きていない」と書かれていました。
昨日を悔やみ明日を心配したり、経験や知識にこだわり先の結果に執着したり、かな。
ああ、私も人生を、そんな時間に使ってきてしまったな。

愛犬さんは、お師匠さん。「佇(たたず)む時間」を教えてくれる。
暑いから木陰で佇む、遠くの人や犬を待って佇む。
お気に入りの交差点前で佇む。疲れて佇む。家に帰りたくなくて佇む。
ホント、お前はよく佇むんだ。もう中高年だから、よけいそうなのかなぁ。

最初、私は、愛犬さんのように佇むことが出来なかった。
道の先からやってくる人に、
どう挨拶したらよいか、それとも無視したほうがよいか、
そんなことを考えたら緊張して、こそこそと脇道に入ったりしていた。

けれど、ある時から、愛犬さんを見習い、
堪えて、私も一緒に佇んでみることにした。すると、どうだ、
周りが急に静かになり、景色がくっきりフォーカス。
カッコーの声を乗せた風の音が聞こえ、耳と鼻と皮膚を撫で、
田んぼのカラスが黒々と、私に艶やかな羽根を見せつけた。

「今の時間」って、ああだこうだの「自我」が、いつの間にか消えている時間だったり、
逆に、自分のああだこうだの感情に飲み込まれている時間でもあるかもなぁ。
意識のない母のベッドの脇に座って、どうしていいかわからず、
足をさすっている、わけのわからない時間も、「今の時間」のような気もする。

よくあるのは、あれもやりたい、これもやりたいと迷っているとき。
迷ってばっかで、気が付くと日が暮れそう。もう、ご飯の支度だぁ。
「そんな時」は、未来ばっかに生きちゃったってことかなぁ。

そういえば、愛犬さん、散歩中の知り合いが、私より多いような気がするけど、
佇むことが、出会いのポイントかもなって、気もしてきた。
じーっと待つ、じーっと見つめる愛犬さん。

最近、私も知り合いが増えてきたのは、
少しは、お師匠さんに近づいたからかな。

はいはい、お師匠様。「今の時間」の極意を、
今日もお教え賜ります。





calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM