外猫フク、元ノラ。推定15歳。
12年前、喧嘩のケガ、去勢から始まって、
これまでご飯とねぐらをお世話させて貰っています。
お隣さんは、彼が毎日のように来るのを楽しみにしてくれて、
反対側のお隣さんは朝、散歩に出かける時、
「フク、おはよー!」と時々声を掛けてくれてるし、
近くの幼稚園児や通学の小学生も構ってくれたりしています。
コロナ騒ぎで人との接触を避けている私。
SNSもあるし、3人家族で適度な会話も出来るので、
これまで不自由は感じなかったけれど、
電車で1時間半のところに住む長男に色々確認したいことが出来て、
それなのに会って話が出来ないもどかしさを、今日は強く感じたのでした。
人とたくさん繋がること会うことが、大きな価値であるような
錯覚を起こす今の世の中だと感じている私は、
正直なところ「人と会わなくてよい、会うな!」と言われて、
心のどこかがホッとしているような気もするのです。
だけど、ちょっとした拍子に
「しばらく会ってない○○さんとお茶でも」と思って、
そうだ!出来ないんだ!と思った瞬間の不自由さに、
どこかモヤモヤしているのも確かです。
電話では急かされるし、SNSは沢山書けない、
やっぱり「話す」はどこか違う。
緊急事態宣言が解除されて、気遣うことなく
友人とランチ出来る日はまだ先。
今は家猫3匹、外猫1匹、更に母屋に1匹という無口な猫達に、
静かに慰められている私です。